働き方改革の真のターゲットとは何であるか

事業部長ブログ

みなさん、こんにちは。

KCCSでSigfoxを担当しております、LPWAソリューション事業部長の松木です。

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さて、今回は前回の続きです。

今回もIoTやSigfoxの技術的、または、ビジネス的な内容ではないことをご了承下さい。

社会的または経営的な内容となります。

ある一定数の日本企業が、IoTのような新たなテクノロジーを使って、現状の仕事のやり方に変革を起こすプロジェクトに、なぜ前のめりになれないのかに関する話です。

ですので、マネジメントに関わる方の中には参考になる方もいらっしゃるかもしれません。

ただし、以下はあくまでも私見であり、これが絶対に正しいと主張したいわけではないことを最初にお断わりしておきます。

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前回の内容を簡単に振り返ります。

(1)スイスのビジネススクールIMDが発表した2020年版世界競争力ランキングで調査対象となった63の国・地域のうち、日本は34位と過去最低だった。

(2)世界競争力ランキングを下げている主因は、「企業の俊敏性」と「起業家精神」という指標が最下位の63位であったから。

(3)IoTなどのデジタル化が遅れ、日本の競争力のランキングが下がったとしても、失業率が抑えられたのだから、生産性の低さは許容できる欠点なのではないか、という意見もある。

つまり、そもそもある種の仕事を機械で代替する=仕事がなくなる=生産性の高い仕事に替える、という意思が日本人になかったのではないか、というやや自虐的な諦観の境地さえ存在する(ユーグレナ出雲社長)。

(4)つまり、一部の、しかし比較的に多くの日本企業においては、

「確実にやりたい」

「失敗はしたくない」

「しっかり準備したい」

「だから最初の一歩が踏み出せない」

という変化を忌避する傾向があり、変革のための責任を担った意思決定が苦手、ということになる。

(5)一方、モノは過剰にあり、問題も希少となった社会で、失業率の抑制を優先した結果、「クソ仕事」=意味のない仕事、の蔓延という事態を招くようになった(「ニュータイプの時代」山口 周 著)。

(6)今後もIoTやAI、ロボットなどのデジタル化の普及で、労働需要の減少=「クソ仕事」の蔓延という傾向はさらに加速される。

(7)この先、「クソ仕事」の蔓延をさらに加速させていくのか、またはテクノロジーに委ねられる部分は委ねて、人間の仕事はどうあるべきかという仕事の目的や仕事の意味を新たに問い直していくのかという分水嶺に私たちは立たされている。

以上、振り返りですが、その中でなぜそうなのか解せない点がひとつあります。

それは、

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(4)つまり、一部の、しかし比較的に多くの日本企業においては、

「確実にやりたい」

「失敗はしたくない」

「しっかり準備したい」

「だから最初の一歩が踏み出せない」

という変化を忌避する傾向があり、変革のための責任を担った意思決定が苦手、ということになる。

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という点です。

なぜ一部の日本企業は「変化を忌避し、変革のための責任を担う意思決定が苦手なのか」の原因をいろいろ調べてみました。

その結果、(私なりの)ひとつの結論に達しました。

それは、日本的雇用制度が影響した結果ではないだろうか。

なにが問題だったかというと、「無限定雇用」に原因があるのではないか。

「無限定雇用」といのは、勤務地、仕事内容、給与、勤務時間、勤務場所などすべてを会社側が決める権利を持つという雇用形態です。

仕事に関するほぼすべてについての決定権が会社側にあります。

一方、それと引き換えに社員が得るのは雇用の保証となります。

つまりは終身雇用です。

よっぽどなにかをしでかさない限りにおいてはクビになることはありません。

要するに「無限定雇用」とは、”私はあなたに一生仕えます”、という一種の身分契約でさえあります(「人事の成り立ち」海老原嗣生・荻野進介 著)。

身分契約というと、そんな理不尽な!、時代錯誤も甚だしい!という気もしますが、「無限定雇用」は自然なこととして長年にわたり受け入れられてきました。

もちろん私もその中のひとりです。

そこまで理不尽と思わなかったのは、ひとつは、この「無限定雇用」という制度が日本の社会に浸透していった経緯にあります。

「無限定雇用」の裏側には、「誰もが階段を上がれる仕組み」が用意されていました。

すなわち、「年功序列」です。

もともと、これら終身雇用や年功序列は高度経済成長時代にその骨格が固まったそうです。

経済成長が10%前後で推移しているときは、「誰もが階段を上がれる仕組み」を支える十分なポストや昇給原資が供給されていたわけです。

その後の安定成長において、終身雇用や年功序列は社会通念として形成され、”ジャパンアズナンバーワン”として国際的にも評価を受けていきます。

ところが、土地バブル崩壊後のゼロ成長、そして失われた30年という経済的凋落の中で、みんなが階段を上がれるという約束にもほころびが生じてきました。

にもかかわらず、”私はあなたに一生仕えます”、という無限定雇用的な思考様式に、多くの中高年ビジネスパーソンがいまだ無意識にとらわれているように思います。

自分の人生と引き換えに雇用の保証を獲得するという生き方においては、自分の人生のハンドルは自分で繰るという感性は次第に失われていくのでしょう。

会社が用意してくれた階段を上ることが会社人間としての重大事であり、上る階段を自分で選択するとか、なぜ階段を上るのかという問いは視界からフェードアウトしていきます。

会社人間が上るべき階段は、会社の内側にひとつしかないため、わき目を振る余裕などないのです。

その結果として、

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(4)つまり、一部の、しかし比較的に多くの日本企業においては、

「確実にやりたい」

「失敗はしたくない」

「しっかり準備したい」

「だから最初の一歩が踏み出せない」

という変化を忌避する傾向があり、変革のための責任を担った意思決定が苦手、ということになる。

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という習性が生まれたとしても不思議はないような気がします。

いま、欧米では一般的といわれるジョブ型という雇用制度が脚光をあびています。

身分契約にすることで会社側から搾取されることを恐れた結果出来上がったのが欧米の職務=ジョブを介して契約が発生するジョブ型雇用となります。

ジョブ型雇用と、「誰でも階段を上がれる仕組み」=メンバーシップ型雇用では歴史的な背景が異なり、衣替えするように簡単には制度が置き換わるようは思えません。

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以上が冒頭での、

「ある一定数の日本企業が、IoTのような新たなテクノロジーを使って、現状の仕事のやり方に変革を起こすプロジェクトに、なぜ前のめりになれないのかに関する話」

となります。

本来ならば、ではどうするのか?という処方箋まで書きたいところですが、誰にも解決策は見えていないように思います。

ただ言えるのは、「働き方改革」という大きなムーブメントがありましたが、そのターゲットは単にテレワークを普及させることではなくて、「誰でも階段を上がれる仕組み」を「上る階段を個人の意思と責任で自由に選択することを通して、個の自立と自律を促進する仕組み」に変革することではないかと思います。