“日本の競争力34位に転落”のニュースに思うIoTパラダイム拡大への期待と危機感

事業部長ブログ

みなさん、こんにちは。

KCCSでSigfoxを担当しております、LPWAソリューション事業部長の松木です。

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いささか古い情報になりますが、6月16日に日経電子版から、

日本の競争力34位、過去最低に 香港も後退 IMD調べ

というニュースが流れてきました。

そのときは、それほど気にとめていませんでした。

この手の日本という国の凋落的評価はそれほど珍しくもなく、あーまたか、程度の認識だったからです。

ところが、そのニュースの詳報として、8月6日に、

日本の競争力、企業が足引っ張る DXに3つの課題(有料記事)

という記事が目に止まりました。

最近のバズワードであるDXが絡んでいたのでつい中身を覗いたのですが、そこから色々と考えこんでしまいました。

今回はその件について書いていきます。

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さて、この二つのニュースを箇条書きにまとめると次のようになります(上記二つのニュースから引用)。

(1)スイスのビジネススクールIMDが発表した2020年版世界競争力ランキングで調査対象となった63の国・地域のうち、日本は34位と過去最低だった。

(2)世界競争力ランキングとは、「企業が持続的に価値創造できる環境をその国・地域がどの程度育むことができているか」を示したもの。

(3)世界競争力ランキングは、「インフラストラクチャー」「経済パフォーマンス」「政府の効率性」「ビジネスの効率性」の4種類から構成される。

(4)世界競争力ランキングを下げている主因は、「ビジネスの効率性」の評価が55位と低いこと。

(5)「ビジネスの効率性」は約60の指標からなる。中でも、特に評価の低い指標は「企業の俊敏性」と「起業家精神」。驚くなかれ63の国・地域の中でも最下位の63位。ほぼ財務破綻しているベネズエラと債務不履行に陥ったアルゼンチンより評点が低い。

以上、いささか自虐的に過ぎるとは思いますが、要するに、日本は「スピード」と「新規」に弱いということです。

言い方を変えると、仕事の基本姿勢が、

「確実にやりたい」

「失敗はしたくない」

「しっかり準備したい」

「だから最初の一歩が踏み出せない」

ということになります。

Sigfoxがらみの案件のお手伝いをしながらもこういう事象に遭遇するのは、実は珍しいことではありません。

生産性向上のためのIoTを使った新規サービスの導入は概ねハードルが高いのです。

結果的に「ビジネスの効率性」は低くなり、国としての競争力を劣化させてしまっているのでしょう。

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では、なぜ、そうなるのでしょうか。

FFS理論という、人の思考・行動パターンを分析する手法があります。

それによると、日本人の6割は「保全性」が高く、最初の一歩を踏み出すことが苦手なのだそうです。

日本人の6割は『最初の一歩』が踏み出せない

そして、最初の一歩が踏み出せないまま、すでに30年が過ぎてしまいました。

先の二つのニュースに関連したインタビュー記事において、ユーグレナ社長の出雲充氏が、「失われた30年」について、達観した見解を述べています。

ユーグレナ出雲氏の達観『それでも日本は変わらない』

ユーグレナ社長の達観した見解とは、

・生産性が低ければ多くの労働力を必要とする結果、失業率が低く抑えられる。

・IoTなどのデジタル化が遅れたとしても、失業率が抑えられるのであれば、生産性の低さは許容できる欠点なのではないかというのが実は日本人の総意であった。

・つまり、そもそも日本人には生産性を上げようという意思がなかったのではないか。

というやや諦めの入った達観です。

FFS理論でいうところの安定を求めてきた日本人の「保全性」の高さが生産性向上を棚上げし、質は問わずしてひたすら労働力の需要を拡大することで低い失業率を維持してきたということになります。

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しかし、この状況は別の問題を引き起こします。

それは、「クソ仕事の蔓延」です。

いきなり下品な言葉で申し訳ありませんが、この言葉は、ベストセラーになっている次の本から引用しています。

「ニュータイプの時代」山口 周 著

「クソ仕事の蔓延」の背景を簡単にまとめると次のようになります。

・イギリスの経済学者、J・M・ケインズは1930年に著した論文で「100年後には週に15時間働けば十分に生きていける社会がやってくる」と予言している。

・なぜなら、生産性が向上し、社会に物的資本が蓄積されることで労働需要が減るだろうから。

・しかし、100年前と変わらない時間を今も私たちは労働に割いている。なぜか?

・確かに現在、モノは過剰にあり、問題も希少となって、労働に関する需要も減少した。

・ところが、そもそも「仕事」とは「価値あるもの」という前提がある。だから失業率の上昇は社会問題となる。

・一方、労働の供給量は変わらない。そこで、私たちの多くは実質的な価値や意味を生み出すことのない「クソ仕事」に携わるようになったのではないか。

たった10分の発表のために終日費やす会議、何も決まらず次回へ課題を繰り越すミーティング、ほとんど利用されなかった恐ろしく緻密に作り込まれたパワーポイント、ほとんど誰も理解できなかった複雑な計算式がはじき出した事業計画、何となく覚えがないでしょうか。

要するに、失業率を抑制するために、価値の創出を問うことなく、汗をかくという仕事の量的拡大のみを求めて「クソ仕事の蔓延」を冗長させた、ということになります。

IoTやAI、ロボットなどのデジタル化の普及で、労働需要の減少というこの傾向は今後さらに加速されるでしょう。

現実にコロナ禍が強いたテレワークというデジタル技術による新たな働き方のお陰で、会議や打合せや出張、紙による業務処理などにまとわりついていた贅肉が一気に削ぎ落とされました。

私たちは今、分水嶺に立たされていると思います。

この先、「クソ仕事の蔓延」をさらに加速させていくのか、またはテクノロジーに委ねられる部分は委ねて、人間の仕事はどうあるべきかという仕事の目的や仕事の意味を新たに問い直していくのかという分水嶺です。

もはや、日本人の「保全性」を理由に、「最初の一歩が踏み出せない」などとデジタル化を前にうつむいている場合ではないのです。

さもなくば、私たちの社会は、GAFA(Google、Amazon、Facebook、Appleの4社)に席巻されたがごとく、GAFA第二世代、第三世代にものみこまれ、国としての競争力はさらに転落し、「クソ仕事」さえ残されていない事態に直面するのではないかと危惧します。