IoTにおいてはなぜ失敗が必要なのか

事業部長コラム

みなさん、こんにちは。

KCCSでSigfoxを担当しております、LPWAソリューション事業部長の松木です。

誰でも失敗などしたくないし、失敗することが前提で挑戦する人などいないと思います(失敗することが本音では成功という屈折した心理もあるとは思いますが…)。

しかしながら、デジタルエコノミーにおいては、

《成功を生み出すためにどれだけ失敗できるか》

という言われ方をします。

なぜか?

私なりの解釈では、

「技術の進化が社会の進化を追い越してしまった」

からだと思います。

技術と社会の進化がある程度シンクロしていると先がまだ読める。

ところが、デジタル技術はその進化のスピードがかつてないほど早い。

早すぎる。

加えて、影響が広範囲に及ぶことで、適用の妥当性の判断が非常に難しくなっている。

このような背景のもと、「失敗」という名の検証をへることで、デジタル技術の適用に関する学習が進み、成功が生み出される、という解釈ができあがったのだと思います。

よって、最近、この事業部長ブログの場においても、

「PDCAは✖︎で、DCAPが○」とか、

「『構え、狙え、撃て』は✖︎で、『構え、撃て、狙え』は○」とか…

釈迦に説法ではあったのですが、あえて、書いてきました。

そもそも、未来というものについて、ドラッカーは次のように言っています。

「われわれは未来についてふたつのことしか知らない。ひとつは、未来は知りえない、もうひとつは、未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違うということである」

「未来を予測する最良の方法は、未来を創ることだ」

今より過去をいくら探ったところで正解が見つかるわけではないのが、未来であるということです。

さて、未来に対する挑戦においては、ある程度の失敗を見込んでこそ成功するとの真理が、昔からも存在したようです。

古くは発明王エジソンは、1万回の失敗について聞かれて、

「私は失敗などしていないよ。1万通りのダメな方法を見つけただけだ」

と答えたそうです。

企業においては、この失敗を忌避する姿勢は、マネジメントによる決断の回避としてあらわれます。

決断に関して、自動車王ヘンリー・フォードは、

「決断しないことは、誤った判断よりもなお悪い」

と語ったと伝えられています。

たとえ誤った決断=失敗であったとしても、決断しさえすれば、どこかは分からないけれども、少なくとも現状とは異なるどこかに行くことができる、ということだと私は解釈しています。

さらには、なんらかの決断を行ったということは、少なくとも、「前に進むエネルギー」はあったという証明になります。

「前に進むエネルギー」があるということは、たとえ決断の結果が失敗に終わったとしても、そこから修正して回復するエネルギーが備わっているということです。

そして、失敗による学習を重ねることにより、狙いが精確になり、成功へつながりやすくなるのだと思います。

失敗を回避して決断をしない、または、遅らせることは、今いる場所にとどまって動かないことを意味します。

このような姿勢では、変化と表裏一体であるデジタルエコノミーにおいてはサバイバルできない、ということになりかねません。

以上、失敗の効用について書いてきました。

しかし、冒頭に書きましたように望んで失敗する人はいません。

ゆえに、挑戦する勇気とたとえ失敗したとてもその挑戦が真摯なものであれば、それを評価する企業風土、社会風土こそ、いま、われわれが築くべきものではないでしょうか。